そう言えば、オリジナル作品としては「The Pier」以来、4年近くもアルバム出してないことに気付く。
1998年のメジャー・デビュー以来、若い頃は毎年のようにコンスタントにアルバムを出していた。どうやってやってたんやろうと思うけど、まぁあの頃は若かったし、アイデア一発が何よりの原動力で勢い重視の世界。ザックリした録音の仕方は、潔いとも言えるし、雑いとも言える。ともあれ、まぁ仕事は早かった。時代もある。
30代最後のアルバム作品になった「The Pier」は、とにかく緻密に作り込んだ作品だった。こんなとこ誰も聴かへんやろ、ていうとこまで拘りに拘って、派手さはないけど、とにかく手の掛かったレコードたった。
自分たちの作品を改めて聴き返すことは、俺はあんまししないけど、アレは多分よく出来たレコードなんじゃないかな。でも、作るのにとにかく疲れたから、もういいや、って心の中で少し思っていたのかもしれない。あんなに頑張ったのに売れへん、とか評価されへん、とか。
日常生活の中では、欲をかいて色々やろうとすると、すぐに失敗する。掃除と洗濯を同時にやれるのはプロだ。味噌汁ときんぴらごぼうを同時進行で作れるのもプロだ。ギターを弾きながら歌えるのもプロだ。
さらに言えば、AさんとBさんどちらも満足させられるのは凄くプロだ。
正直、ずっとそれが出来ればと思ってた。万能感って言うんですかね。言い換えればただの欲張りって言うんですかね。
なんか最近そういうのんどーでも良くなって来た。自分が満足すりゃええわ、くらいしか思わなくなってきた。多分歳ですわ。もう42になるし(後厄)。
本気でそんな風に思うもんだから、どうも俺本格的に終わってきたんかな、と少し落ち込んだりもした。
メジャー来てから20年間、やりたいことをやりたいようにやってきたようで、ただひたすらに見えない敵と戦うような音楽の作り方を長年やってきた。つまり「売れたい‼︎」あるいは「認められたい‼︎」という気持ちがとても強かったのが、どうも薄れて来たというか。お金は欲しいけど。
売れるべくして売れているアーティストの方なんかとお会いすると、やはり肝の座り方が違うなぁと感心すると同時に、ワシには無理やわと思う。
売れてなかったり、まだ新人で売れたくて仕方ないアーティストの方とお会いすると、そないに気張らんでも十分カッコええやん、て思う。
「交響曲第1番」を書いたり、大学で教え出したりして、色々変わったんだと思う。つまり、自分のやりたいことが生活の中心になると、やらねばならないことの質量と意味合いが変わってくる。
やらねばならないこと、は沢山ある。
やりたいこと、が沢山あると、やらねばならないこと、を頑張れると昔は思っていた。
あるいは、やりたいこと、とやらねばならないこと、が同じだと、頑張れると昔は思っていた。
水木しげるさんの「幸福論」にあやかって、やらずにおれないことをやり続ける、ことをやり始めたら、結構フォーカスできたきたというか、なんか仕事の質が上がり始めた気がしないでもない。
あと、現実的に無理なものとか無茶な欲望にあまり振り回されなくなったような気もする。これ結構俺の中ではデカい。まぁ、歳やな。
話が脱線した。
くるりのことを話そう。
全部で20曲弱ある新しい楽曲のアイデアの中から、11曲ほどの楽曲制作、プリプロダクション、録音、編集、ポストプロダクションを進めている。
と言うと難しく聞こえるが、まぁつまりは久しぶりに曲書いて、レコーディングしてるっちゅうことです。
メンバーみんなそれぞれ住んでるとこも忙しさも仕事の仕方もバラバラやから、「The Pier」の時みたいにみんなで一緒に、みたいなレコーディングではない。データ上でやり取りしたり、こっちはギター録音してる最中に、別のとこでひたすら編集してるメンバーがいたり、みたいなこともある。
音楽作る上でとても大切だなぁ、と今回改めて思ったのは「自由に発想する」こと。まぁ、コレは昔からそう思ってた。目に見えないものを信じること。
もうひとつ大切なのは「合理的に物事を考える」ことかなぁ。それはどういうことかと言うと、やりたいこととか見えてることを確実にやるということ。それはつまり、変な思い込みや慣習に絶対流されないということ。コレは最近とても意識する。目に見えるものを信じること。
話をくるりに戻そう。
まぁ、こんなことばかり考えてるわけでもないんやけど、今まで必死のパッチでやってきた、あるいは考えてきたこと、守ってきたことをポイッと捨てたりした結果、なんか超名盤が産まれるかも、みたいな感じではあります。でも、誰かにとって超名盤かどうかなんて、俺にはどーでもいいんです。俺や佐藤やファンファン、一緒に作り上げたスタッフにとって超名盤であればそれでいいんです。